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ひとまずさよならギリシャ(2009/05/04)ヨアンニナ

雨、曇り、雨。寒い。10℃を下回っているのでは。

 2日にアテネを出てバスで6時間半、ヨアンニナに行き、翌日メテオラ(カランバカ)泊、今日は再びヨアンニナに戻っています。明日アルバニアへ移動する予定(まだいつどこでバスに乗るのかも判っていないけど)。
 この2日間は、ヨアンニナのホテルが"メーデーにより休業中"だったり(カルチャーショック、、、)、それでタベルナ・カフェ・バスターミナルのハシゴで夜明かししたり、カランバカは山村らしいというか無視やあからさまに顔をそむけたりする人が多くてめげたり、メテオラの修道院に愛用のトレーナーを忘れて失くしたり、それを探しに片道1時間の山道をまた登ったり、あまり好調ではなかった。でもまあ、それくらいないと旅らしくないとも思う。
 メテオラに歩いて登るルートを教えてくれたおばあさん、カフェで呼び止めてお喋りしてくれたギリシャ出身・カナダ45年在住のおじさん、同席の方々、観光レストランにして感じ悪くなかったレストラン、などに元気づけられました。旅行者は微笑みだけでも助けられるものだと知りました。数日なら接客業の笑顔だけでやっていけても、だんだん孤独に感じてくるのかもしれません。私達は2人ですからあまり意識しませんが。

 あまり好調でなかったにも関わらず、ここまでのバス旅行とメテオラは充分来て良かったと思いました。アテネと島々からは想像できない景色、しっかり木が繁った高い山、低い雲、冬の寒さを思わせる家の造り。どんな国も簡単に一括りにできない、ということを実感できるのが陸路の良さでしょう。

 それと、ゴールデンウィークだからでしょうか、日本人旅行者を多く見ました。

 5月は、アルバニア、マケドニア(ギリシャではない方の)、ブルガリア、トルコを回ります。各国語を全く知らないので一夜漬けの日々です。それに押されてせっかく多少は話せるようになってきたギリシャ語を忘れないよう努力しなければなりません。

メテオラ。岩の上に修道院。
あそこまで登れるとはちょっと思わなかった。実は車でもかなり近づけた、、、。
ここも花盛り。ほんとうに色々な草花があります。

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