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ティラナ(2009/05/05)

晴れ、夕方雨。

 アルバニアへ出発。ヨアンニナの町は湖に突き出していて、宿とバスターミナルは別の側、大通りを行くと突き出したカーブに沿って大回りするのでショートカットを試みたら迷ってしまい、5回道を聞いて結局元の場所に戻ることになりました。9時過ぎに宿を出たのにバスターミナル着は11時(疲れてカフェに入ったし)。国境行きのバスは11:30発だったから結果的には問題なくてよかった。
 国境付近で、メタクサス、ゲオルギオス1世、パパゴスの銅像を見ました。珍しい。

 国境のカカビアまで30分位。アルバニア側にはタクシーが待ち構えていて、ティラナまで120ドルとか言ってきました。幸い、自家用車で帰国する家族が見かねて近くの町まで乗せてくれ、30ユーロでタクシーを見つけてくれたので助かりました。
 他2人の客と同乗したタクシーは年代物のベンツ(アルバニアの定番)、窓ガラスが滑り落ちるらしく差し込んだドライバーで留めてあり、速度計も壊れています。そしてめちゃくちゃ飛ばす。細いくねくねの山道を。ティラナ近郊まで、追い越さなかった車は無かったように思います。途中で修理工場に寄って窓ガラス(と剥がれたドアポケット)は直したけど、速度計はそのまま。
 他の車も同様の高速・追い越しだし、ガイドブックでも運転が粗いと言っている割に、車の状態はギリシャより良かった。年代物が多いから、多少のへこみや擦り傷はあるけれど、バンパー、ライト、ミラー、ナンバープレートはどれも無傷でした。それが普通?

 国境からティラナまで、ほとんどずっと山、畑。経済の苦労はあるらしいけれど、元来土地は豊かなのでは、と思う緑の美しい風景でした。スリリングなドライブで写真を撮る余裕がなかった。

 ATMでクレジットカードが使えず、銀行口座から引き落とし。"窓口でIBANを入手せよ"とレシートに書いてあったけどよくわからない。
 地球の歩き方にあった「ホテル ルガノ」、朝食付50ユーロ。何の問題もなく充分な部屋でした。朝食はごく簡単なものですが、大体どこでもそうらしい。パン、ゆで卵、ジュースとコーヒー。チョコパンが添えられたのは良い方なのかもしれません。

国境の間
ティラナの宿から
歴史博物館前
スカンデルベグ広場

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