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ポグラデツ(2009/05/08-10)

晴れ。

 マケドニアとの国境、オフリド湖畔の町、ポグラデツに行きます。昨日バス停らしいとなった場所に行ってみてもバスは無く、居合わせたタクシー運転手は、どうも町外れまでタクシーに乗れ、と言っているようで、結局タクシーとミニバスを乗り継いで4時間でした。途中で、3時間前に出たはずの鉄道を追い越したので、やっぱり鉄道は6~7時間かかりそうです。
 オフリド湖は、とろりと灰色がかって見える水面が印象的で、1mくらい下の湖底や、魚の群れが良く見えてきれいです。湖畔はずっと公園・歩道になっていて、毎日夕方ぞろぞろ人が歩きます。夕方の散歩はアルバニアのどこでも見られる習慣だそうです。家族、夫婦、友達と連れ立って、アイスやナッツを食べる人もいるけど、基本的には歩くだけ。生活のリズムや健康や精神衛生に良さそう。

 ホテル、保養所、道路舗装、公園整備など幾つも進行中で、観光に力を入れて行くところのようでした。しかし私達がいた日は、観光客らしき人に1人しか会わなかった。彼が English speaking な両替商を教えてくれて、国境まで行く目処がたったので大分助かりました。英語より独・伊が便利そうです。アルバニアでは。
 宿もガイドブックに英語が通じるとあったから行ってみたのですが、おじさん、おばさんとも全く通じませんでした。繁忙期は応援が来るのかもしれません。でも建物は以前美術館だったとかで綺麗だし、お二人ともとても親切でした。散歩中に会うと何事か話しかけてくれるのですが(あれ見た?ここ気に入った?もうご飯食べた?とかそういうことでしょう)、通じないと判っている相手にともかく自分の言葉で話すって、強いなぁ。少なくとも好意は感じられるので、ありがたいことです。

 ここの子供達の"キネーズ!ニィハオ!チャイナ!ブルース・リー!"攻勢には少し参りました。やれやれ。遠巻きに面白がっているだけにしても、会話する気なく発せられる言葉は、受けた側を疲れさせるものだなと思いました。
 もう少し大胆な数人とはお喋りして、バレーボールして、MP3プレーヤーをねだられて驚き、駄菓子とゴーカートゲームならということにして、各自の名前を漢字で書いてやって過ごしました。あと写真を撮ったり撮られたり。

 食事はギロピタ、スパゲティ等、これといったものなく。ファストフードでないレストラン自体少なかった。レストラン自慢の鱒も食べてみましたが、何ということのないムニエルでした。改めて日本料理における魚の豊富さを思いました。ホクホクの塩焼きが食べたいなぁ。

 10日朝、両替商ラリー氏に国境まで運んでもらいました。「旅行者だからって高値をつけたら、もう二度と来ないじゃないか!なぁ?!タクシー運転手なんかにもそう言ってやってんだよ俺ぁ。」という主義らしいので、ポグラデツに来たときは彼に相談すると良いかもしれません。ティラナから見て、バス通りがもう一本の通りと交差する角から手前2~3軒目の店だったと思います。本当に良心価格かは知りませんが少なくとも英語が通じますから、、、。

追い越した電車
乗っていったミニバス
オフリド湖
ポグラデツ。湖側から順に公園や歩道が整備されている印象。
子供達は "game of car" と呼んでいた。大人気。
わざわざ呼んでポーズとってくれた珍しい人
夕方の散歩コース。往復1時間。
ホテル
国境近くからオフリド湖
アルバニア国境

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