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スコピエ(2009/05/14-15)

晴れ。夕方雷雨

 ブライチーノからレセン、レセンからビトラ経由のバスでスコピエへ。例によって窓が開かないバスで蒸し暑さにじっとしていたけど、雷雨に走りこんでからどうも涼しいと思ったら壁に5mmほど穴が開いてて雨と風が吹き込んでいました。誰か暑くて掘ったんじゃないか。

 残念ながらスコピエの魅力は私達には良くわかりませんでした。人口50万人。松山より大きそうだけど岡山よりは小さく、でも首都機能があり、といって活発に経済が動いている雰囲気でもない。気にもされない都会の気軽さはなく、といって話しかけられるほど田舎でもない。歴史や名所をちゃんと下調べしてくれば違ったかもしれませんが。色々な要素が混在しているようで、もう何年かしたらそれが魅力になるかもしれません。
 スコピエの宿で4人のセルビア人(とパリからのマンガ好き青年)に会えたのはよかった。私達と同じ30歳前後で、採用試験のために1週間泊まっていて、合格なら半年船に乗るんだということでした。よく飲み喋り笑うことの上手さに感服しました。「仕事やめて旅してるならさ、作家になれば?俺らの話聞いて本にすれば良いよ。タイトルは『ガッデム・セルビアン』!ははは、ベストセラーになるよ。」
 確かに。そして、この辺りのどの国にも、聞き手を待って語られずにいる話が無数にあるのでしょう。

 彼らが熱心に勧めるので予定を変えてセルビアへ行くことにしました。行き先は"対トルコ敗戦時に斬首された数千の骸骨からなる塔"のあるニシュと、"国で一番うまい肉を産する"レスコヴァッツ。それしか判りません。

 スコピエの宿「ホステル・ホステル」も悪くなかった。大学の学生会館みたいな内装だけど、結構30代からの人もいて。朝提供されるパン、チーズ、トマトなんかを庭のソファで食べながら、ようやく動かし方を覚えたバックギャモンを練習しました。

城塞跡から町の中心を見る
暗い表情が印象的な選挙ポスター
マンションの形が色々あるのは面白い
市立美術館で。

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