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2013/05/09

暑くなった。昨日の疲れがのこって心配な研修、食事当番で体が楽な日でよかった。葉物収穫、休憩、食事当番、ジャガイモの不織布回収、防虫ネット張り。

サラダセットと呼びならわす葉物類、今日は赤サラダ菜、サラダからし菜、ルッコラ、小松菜、赤マスタード、わさび菜、など。研修はじめた頃よりはいくらか手早くなったはず。葉裏にアブラムシがいれば取る。ブロッコリーの花蕾に入り込んだ青虫は見つけにくく取りにくいので、出荷場のたらいに1時間漬けておくと溺死して落ちると。

食事当番2回目。ごはん、蕪の味噌汁、大根の即席漬け、レタスとラディッシュのサラダ、パプリカとひき肉のオーブン焼き、残り物あれこれお焼き、小松菜・蒟蒻・油揚げの炒め。まあまあでしょうか。

ひどい遅霜があった4月にかけた不織布、もういらないし、かけっぱなしだと育って布に触れてる葉がこんどは暑さで焼けてしまうのではがす。不織布と黒丸が倉庫にもどり、防虫ネットが払底する季節。

先日途中で終わった防虫ネット張りに2人で行ったら、トンカチがない!と1人取りに戻り(実はあった)、ネットを継ぐ分の支柱がない!とトンネル間隔をあけて調達するもやはり足りず再び戻り、戻ったら用事が発生したらしく、一人の私は石拾ったり弛みを直したり・・・17時まえにやっと再開し30分弱で被せるところまで終わらせよう、としたらネットが足りずタイムアップ・・・段取り悪すぎる午後であった。

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急いで保育園。私も腹ペコ、やおよしでポンジュース、干しブドウ、冷やしラーメンなど買って夕ご飯。

「どっちか選んで」や妥協案がフミさんに通じるようになってきた。たとえば「腰越公園行く。お魚見に行く」「どっちかにしよう。腰越公園行く?」「行く」「お魚見に行く?」「見に行く、ちない」。少し前なら両方にYesの返事だった。園庭に落ちてたオモチャを持って帰る・帰らないで揉め、「じゃあフミちゃんの靴箱に入れておこうか。明日遊べるでしょ」と提案したらじっと考えたのち「ここに置いてく」。おかげで「オモチャ片付けないならしまっちゃうよ」など有効に。躾けってこうして徐々に始まるものなのだね。

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